JOURNEY : SAN SEBASTIAN

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 ぼんやりと天井が見える。視野の右だけがうっすらと白い。部屋はまだ暗いが、カーテンの端だけが明るく光っている。遠くに聞こえていた子どもたちのはしゃぎ声が、次第に鮮明になっていく。

 たしか階下のエントランスを出たところには、ぶらんこのある小さな公園があった。おそらくその公園を囲みながら建っている、日本の団地のような集合住宅に住む人たちが、出勤や登校前に挨拶を交わしているのだろう。どうやら外では1日がはじまっているようである。

 時計を見ると7時をまわっている。外は暗いものの、サン・セバスチャンでも朝は普通にやってくるらしい。当たり前のように思えることも、ホテルに泊まった前回までは分からないことだった。分かっていたのは、夏から秋にかけての季節は日没が遅いということだ。20時を過ぎても明るく、日が暮れるまでサーフィンをした後に夕食を楽しんでいると知らぬ間に日付が変わっていることなどいつものことで、ホテルに泊まっていると地元の人たちの生活は見えてこないから、夜が遅いぶん朝も遅いのだろうか、という思いがどこかに生まれていた。

 しかし今回、朝は普通にやってくることが分かった。今までと違って滞在先にアパートを選んだため、地元の人の生活が見えるようになってきた。

 古びた石造りのアパートは10階建で、ひとつのフロアに4世帯が暮らせるつくりになっていた。自室のドアを開けると電灯のない狭いエレベーターホールがあり、3つのドアが目に入る。その向こうには、まだ顔をあわせてはいないものの、サン・セバスチャンを地元にする人たちが暮らしている。考えるまでもなく当たり前のことではある。けれど、異国の地に暮らす市井の人の日常に触れる機会というのは、普通の旅行ではないに等しい。そして暮らすように滞在するには、非日常を楽しむために用意されたホテルでは難しく、アパートを借りることにした。

 アパートはエアビーアンドビーというサービスを通じて見つけた。空き部屋を旅行者などに貸すサービスで、ロサンゼルスでコーディネーター業を営む知人に教えてもらった。彼女いわく、最大の特徴は最盛期でホテルに空きがない場合でも、寝る場所は確保できるほどの部屋数があることだという。

 サン・セバスチャン行きに先立って、国際見本市の開催時期に訪れたベルリンでは、すべてのホテルが満室の状態ながらエアビーアンドビーを使って部屋を見つけることができた。ひとつ屋根の下に個室をあてがわられた外国人たちが寝泊まりするゲストハウスのような状態ではあったものの、寝床を求めて途方に暮れることなく済んだのは事実だった。

 もうひとつの特徴は、好立地ながら安く滞在できるという点にある。

 今回は前半を3人の友達と一緒に過ごした。その際に借りたのは、2ベッドルームにリビングとキッチンのついた部屋で、1泊18,000円。ひとり1泊4,500円ということになる。彼らが帰国してからはひとりとなったが、数日間を同じ部屋で同価格プラスαで過ごし、後に近くで見つけた4LDKの一室を同様の値段で借りることができた。

 場所はどちらもビーチから歩いて数分の市街にあった。同じ立地にあるホテルなら1泊100ユーロ以下では泊まれない。スーパーで地元の食材を買い自炊するなど、リーズナブルに長く、そして生活するように滞在したい人に、エアビーアンドビーは良いサービスのように思えた。

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 暮らすように滞在したいと考えた理由は、まず訪問が5回目を数えたこと、そして生活感のある街並みにある。

 サン・セバスチャンはスペイン北東部にある小さな街で、人口18万人ほどというから日本なら鎌倉ほどの大きさとなる。海があり、波があり、緑も豊富で、食事が美味しい点も両者は似ていて、鎌倉に幕府があったようにサン・セバスチャンも王家との縁が深い。そして、このヨーロッパの人にとっての避暑地は観光地ながら居住区が同居し、随所で生活模様を感じることができる。

 街は大きく3つのエリアに分けられる。

 北側にある大西洋へ注ぐウルメア川を境に、東のフランス国境側にグロス地区があり、西側に旧市街、旧市街の内陸側に新市街がある。グロス地区は居住エリアで、歴史あるアパートが並び、階下には生活必需品を売る商店が軒を連ねる。旧市街には迷路のように入り組んだ小径に沿って無数のバルがあり、新市街には銀行や証券会社などのオフィスを中心にしながら、ザラをはじめとしたアパレルブランドの路面店を見つけることができる。

 街は歩いて回れる規模であり、コンパクトながら十分な都市機能と多くの文化的コンテンツを有している。夏にはジャズフェスティバルとクラシックの音楽祭があり、訪れた今回のタイミングでは61回目を迎えた国際映画祭が催されていた。さらにスペイン1部リーグに属するフットボールクラブ、レアル・ソシエダの本拠地でもある。毎年バルセロナやレアル・マドリードとの公式戦がおこなわれ、親善試合では見られにくい一流選手による本気のプレーを、この地方都市では味わうことができる。

 とはいえ、そうした多彩なコンテンツに気づいたのは通うようになってからだ。最初の訪問時に気に入ったのは、生活感のあるヨーロッパ的な街並みのなかで波が割れている雰囲気。それは10年以上も前のことで、隣国フランスのホセゴーという場所で開催されたサーフィンの世界選手権を取材するために訪れた際、せっかくだからと足を伸ばしたのだった。

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 ホセゴーから南下する時に通過するビアリッツもまた、ナポレオン3世が愛したという気品のあるビーチタウンとして知られる。ただ、形容の言葉はサン・セバスチャンと似ているものの、よりリゾート的であり、ホテルに滞在して非日常を味わうことに相応しい場所という点で異なりを見せる。

 サン・セバスチャンの雰囲気はとにかく庶民的なのである。有名な旧市街のバルめぐりをすれば、その庶民さを簡単に感じることができる。

 雑然とした店内に入り、グラス片手に歓談している集団を分け入りカウンターを目指すと、そこには多彩なピンチョスが並び、その向こうでは寡黙なスタッフたちが手を動かし続けている。観光地にありながら彼らのほとんどはスペイン語しか話さないようで、英語で話すと困った顔を見せ、「ウノ・ティント(赤ワインひとつ)」「ウノ・ブランコ(白ワインひとつ)」といった片言でオーダーをすると表情を変えずにうなずき、ワインセラー近くにいたスタッフに端的なスペイン語で指示を出す。

 飲み物のオーダーが終わると、今度は関心をピンチョスへ向ける。視線をカウンターの上へ移し、お気に入りを見つけ、片手でつまんで自分の皿にとれば、あとは頬張るだけだ。

 ピンチョスとはサン・セバスチャンのあるバスク地方でよく見るアペタイザーで、小さなパンにアンチョビやオムレツといった具材を乗せたもの。カウンターに並んでいるもの以外にもメニューはあり、フォアグラのような食材まで気軽に味わうことができる。

 頬張ったピンチョスを喉の奥へ流すのはビールやワインでもいいが、オススメはバスク地方の地酒であるチャコリ。微発泡ぶどう酒のシュワッとした味わいが喉ごしを刺激し、口内を爽やかにリセットし、食をいっそう進めてくれるのだ。

 ここでは誰であれ店のなかに入るとカウンター付近に陣取り、黙々と食べては飲む。欧米を中心に旅行者が多いのだろう。ひと心地ついて始められた会話には、英語を含めた多言語が飛び交い続ける。そして、ひとつふたつのピンチョスをつまんでは早々にバルを出て行く。お店ごとに名物ピンチョスがあり、次から次へハシゴをするのがこの街の流儀となっているためだ。そうして腹をふくらませ、酔いどれ、迷路のように道が入り組んだ旧市街には陽気な声が響くようになる。気取る必要も暇もないままに、夜はふけていくのである。

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 友達が帰国してからも同じように夕食を済ませ、グロス地区にあるアパートで翌日の朝をひとり迎えたこの日、予定は特になかった。しかし朝が来て、目が覚めたのでベッドから抜け出すことにした。時間を自分のためだけに使えるようになったことから、何かをしないと、何も起こらないまま1日が終わってしまう。

 とりあえず、外へ出よう。外へ出て、せわしない街の様子に触れ、1日が始まったことを体内に取り入れよう。起き抜けの状態ながら、いっそうの広さを感じるようになった部屋を後にして階下へ降りていく。オートロックのかかったエントランスを出ると外は前日から続く小雨模様で、建物の正面にある公園内の緑はしっとりと濡れていた。

 そのまま敷地を横切り、雨に濡れ鈍色となった石造りのアパートに沿う通りへ出る。通りには八百屋や電気屋といった商店が並んでいて、朝の到来を告げるように主たちは開店の準備にいそしんでいた。そのなかをお父さんの手をしっかり握った子どもたちが、わずか早歩きで通りすぎていく。黄や赤という雨合羽で全身を包み、友達と出会うと明るく笑顔をふりまき、元気よく挨拶をしながら歩みを進めていった。

 街は動き出している。さしあたっての目的地としたベーカリーでも、お店のなかには焼きたてのパンが並び、そのパンを手に職場へ急ぐ人たちがレジの前に列をつくっていた。いつものように温かいクロワッサンを手にすると彼らに交じって並び、カプチーノをオーダーする。このお店で朝食を手に入れて、ビーチへ向かうのが日課のようになっていたからだ。

 そのビーチはベーカリーから1ブロック歩いた場所にある。ズリオラという名前で、大西洋に面し、コンチャと呼ばれる湾の内側に位置しているため、外洋からのうねりをコンパクトにまとめて形の良い波をつくりだす。波質の良さから世界的に知られるプカスというローカルブランドが生まれ、パタゴニアは欧州唯一のサーフストアをビーチに面する場所に構えた。そうした雰囲気からサン・セバスチャンのズリオラビーチは、フランスのビアリッツ、イギリスのニューキーに肩を並べる欧州サーフィンきっての名地として知れわたっている。

 雨と波を気にしつつビーチに着くと、空と海の境が分からない灰色の世界が広がっていた。海は風の影響を受けて荒れている。海のなかにサーファーはいない。海岸沿いの大通りも人はまばらだ。午後を前に嵐が抜け、風も変わるという予報だったが、それまではゆったりと過ごす1日となりそうだ。なんとなくの予定が頭のなかに浮かんだことに少しばかりの満足を覚えて、とりあえずはアパートへ戻ることにした。

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 来た道を戻り部屋に帰ると、シャワーを浴び、メールをチェックした。いつくかの受信メールのなかで目をひいたのがアインホアという女性からのものだ。「昨夜はとても残念だったわ」という書き出しのメールをくれた彼女はこの部屋のオーナーで、サン・セバスチャンに到着した早い段階で顔を会わせ、挨拶を交わしていた。

 その際に聞いた話は、サン・セバスチャンで生まれ育ち、地元のラジオ局で記者をしていたものの、昨今の経済不況のあおりから職を失ったということだった。かろうじての糧は、所有している部屋を貸すことで得ているともいっていた。

 「良い大学を出たとしても、今のスペインでは職を探すのが難しいの。多くの若者はドイツのような景気のよい国に行ってしまうのよ」

 同じような話は、旧市街の近くにオフィスを構える市の観光局でも聞いた。プレス担当のムニョスさんに「もし日本人がこの観光局で働きたいと言ってきたらポジションはありますか?」と質問をすると、彼は「以前なら可能性はあったけれど今は厳しいだろう。ご存知の通り、スペインの経済は非常に悪いからね」と答えたのだ。

 お金を落とす立場で稼ぐ必要のない旅行者は、その土地がどれほど経済不況でも、明日を心配する不安に襲われる機会はそうそうない。生活をするのと、たとえ生活をするようではあっても旅行するのとでは、まったく立場は違うということに改めて気づかされた。

 ただムニョスさんは、「サン・セバスチャンへの旅行人口は増えています。スペイン国内からと海外からの旅行者がともに前年比増なんです」ともいった。経済全体は落ち込みを見せているものの、市外からの旅行者の流入に限っては良好なのだそうだ。その理由をムニョスさんは、食をはじめとした独特の観光資源に求めた。

 確かに、日本にもサン・セバスチャンの素晴らしい食文化は伝わってきている。旧市街のバルに加え、この小さな街にミシュラン3ツ星のレストランが3つもある。食へのこだわりは諸外国から関心を集め、実際にミシェラン3ツ星のレストラン、マルティン・ベラサテギにランチへ行った時には、いくつかのテーブルに日本人の婦人が同伴の人と座っていた。

 ランチのコースで2万円を越える食事を楽しみに、日本から訪れたのか、それとも駐在などをしている近隣都市から訪れたのか。いずれにせよサン・サバスチャンへのアクセスはそれほど良くはない。日本からならパリへ飛び、トランジットをしてビルバオかビアリッツを目指し、そこから陸路でアクセスすることになる。バルセロナもしくはマドリードにいるならサン・セバスチャン空港へ飛べるのだが、それ以外の欧州各国なら、日本から行くのと同様に時間がかかる。

 時間がかかってもサン・セバスチャンの美食を堪能したい。

 マルティン・ベラサテギで見た光景は、そのような思いを抱いてもらうアピールに成功している証ということなのだろう。

 さらにスペインの王家が愛したサン・セバスチャンは欧州における避暑地であり、ビーチタウンとして愛されている。そのためビーチも、サーフィンも観光資源なのだとムニョスさんはいう。地元サーフショップとの恊働もおこなわれていて、観光局のホームページでサーフィンスクールの参加者を募り、応募者をサーフショップに受け入れてもらう試みもしている。

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 行政と地元のサーフコミュニティが連携している状況には、ビーチカルチャーが随分と育まれている様子を感じることができた。小さくない驚きを覚えながら、しかしいっそうの驚きに包まれたのは周辺のサーフスポットの話になった時のことだ。

 「ズリオラが一番アクセスの良いビーチですが、1時間ほどのドライブ圏内にザラウツという美しいビーチがあり、ムンダッカという世界に誇る一流の波があります。それ以外にもサーフスポットがこれだけあるんですよ」

 そういって見せてくれたのは地図にサーフスポットが記されたガイドブックだった。そしてそのひとつひとつの特徴を、ムニョスさんは記憶し、自分の事のように捉え、思いを込めて話したのだ。

 聞けば、ムニョスさんはサン・セバスチャンの出身者ではあるが、これまでサーフィンをした経験はないという。それはつまり、こういうことを意味する。

 鎌倉市の観光協会につとめるサーフィン未経験の職員が、材木座から小動岬にいたる全サーフスポットについて、外国からの旅行者に愛着を込めて説明する、ということである。

 むろん、そのような職員が鎌倉市には実在するかもしれない。実情は分からないけれど、ムニョスさんに会って分かったことがひとつある。地域の活性化に力を尽くす行政職員に海やサーフィンに関する高い見識を持つ人がいると、その街では海やサーフィンが大切にされていると思わせてくれる、ということだ。

 サン・セバスチャンに関する新しい情報を得れば、そのたびに鎌倉と比較してしまうほど両都市は似た要素を持っている。ここまで相似していると、60年を越える国際映画祭では日本から「そして父になる」が出品されていたように、スペインの最新名画が出品される映画祭が鎌倉でおこなえる日がくるかもしれないと感じられてくる。

 そして鎌倉の海には、ムンダッカのように稲村ケ崎があり、ズリオラのように由比ケ浜や材木座がある。あとはこれらの要素をサーフコミュニティのなかだけで止めず、土地の資源として拡大解釈することができるか否かで、サン・セバスチャンのようなビーチタウンになれる可能性は変わっていくのだろう。

 17時を過ぎて雨と風がやんだので、ズリオラビーチへ向かってみた。空はいまだ灰色一色だが、雲は薄くなり、やわらかく降り注ぐように陽の光が海を照らしている。波面はまとまりつつあり、頭サイズの波がクリーンにブレイクし続けている。点在するピークに集うサーファーの後を追うように海岸にも人が戻ってきた。ビーチ沿いの遊歩道では、ベンチに腰をかけ、海を向こうにしながら夢中に会話を楽しむ若者たちであふれている。

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 ほどなくすると、青と白の縦縞のTシャツを着たグループが通りすぎた。同様の柄の旗が住宅街のベランダで風にそよぐ光景を時おり見かけるが、それはレアル・ソシエダのチームカラー。前日に欧州王者を決めるUEFAチャンピオンズリーグの初戦を本拠地で迎えていたのだ。

 結果はアインホアからのメールに示されていた通り、彼女の街のチームはウクライナからやってきたシャフタール・ドネツクに0-2で敗れ、初戦を落としてしまった。

 きっと彼女はがっかりしているのだろう。でも、ヨーロッパの他国の強豪クラブが勝利を目指して真剣勝負を挑みにくる街は世界をみわたしても数少なく、それだけで誇れることだと思える。

 日本の街にいたっては参加することは将来的にも考えにくいし、日本のサッカーファンにできるのは日本人選手が所属するチームを応援することくらいだ。当時者意識という点でいえば、街ぐるみで応援する人たちのそれとは比べ物にならないほどに小さい。ユニフォーム姿で歩くグループを見かければ、サン・セバスチャンが自分の街ではないことを痛感する。それは日本人選手が所属するチームの街へいっても同様のように思える。

 改めてサン・セバスチャンが誇る文化力に凄みを感じながら、ビーチに隣接するコンベンションホールの方へ視線を送ると人の出入りする様子が目に入った。そこは国際映画祭の会場となっていて、海外からの出品作品を含め注目映画の上映がおこなわれていた。

 そのさらに奥にある旧市街の方を見つめると、街灯に灯りがともりはじめていた。多くの旅行者が楽しみにしている時間の到来を告げているのだが、目の前では相変わらず良い波が数を余らせながらブレイクしている。

 さて、これから何をすればいいのだろう。

 あまりに選択肢が多く、すべてが十分に高いレベルにあり、優先順位がつけづらい。それとも、せわしなく翻弄されるような心境を抱くのは相変わらず旅行者の立場だから、なのだろうか。

 その疑問は、サン・サバスチャンのような高い文化力を持つビーチタウンが日本の海辺にでき、それらのなかで地元と感じられる街と出会えた時、身に染みて分かることになるのだろう。そう思い、とりあえずはウェットスーツに着替えることにした。日没まではあと2時間。波は相変わらずの数と質を伴って、サン・セバスチャンの海岸に打ち寄せていた。

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TEXT/PHOTO : TAKASHI OSANAI

2015.09.18
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